2019年12月21日

何となく~雑感 「無私 生かされているという気持ち」

ピアノ柄手ぬぐいといえば斎染、

手仕事のぬくもりをお届けする斎染です。

 

「無私」=私心・我利・我欲・エゴなどの

「自分のため」といった感情がない状態。

またはその人自身が他を認識する為のメジャー・私的計測基準

などを排除して、他の存在自体・そのもの自体を

認識できる状態のこと。

無私の境地で判断する事によって、

そのもの自体をより確実に正確に認識できるようになる。

~ウキペディアより~

 

先日の山形新聞の記事に「女性の無私」とあった。

おばあちゃんが人様の孫を見つけて可愛がる様子を

例にあげてくれてます。笑顔、声音、態度に疑心や私心が無い。

心底「めんごい・かわいい」と声をかけている様子、

「女性の無私」に「とても敵わないな」と

投稿者さんがおっしゃってます。

一方、男性は年を重ねてもなかなか嫉妬心や競争心を引きずって

生の生々しさから抜け出しきれない。男性の多くは幾つになっても

自分を勘定に入れてしまう。また「生かされている」という

感覚より「生きている」という感覚の方が強い。

女性はその逆の「生かされている」という感覚が強いとあります。

「無償の愛」の気持ちが強い表れなのかもしれませんね。

(写真は先代女将、母が孫を抱いているところです)

私はわかるような気がします。

私も子育てしてきた中で、「女将であるママの愛」には

敵わないと思ってきました。

皆さん思うこと様々あると思いますが、

「おれが、おれが」的な行動や発言は、

(経営者の集まりでは時々ある光景のひとつです。)

その人のらしさであり、血気盛んで、元気な証拠という

ことなので悪いことではありません。

でもその気持ちが強い分だけ「生かされている」

ということに気が付くのが遅くなり、

「心穏やかに、感謝の念」を持って過ごす時間が

人より少なくなるような気がします。

「ひと、他人(ひと)が居てこその自分」です。

 

毎度、とりとめのない話にお付き合い頂きありがとうございました。

 

追伸:あとで見返すと、誤字、脱字が多いな~orz

 

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